突然ですが、『ラクな介護』─こう聞いて、皆さんはどう思うでしょうか。

 

「介護は真面目に行うべき」、「仕事で手を抜いているからどうかと思う」、「いい加減な介護をするのは相手に対して失礼だ」等、感じることはたくさんあると思います。

 

では、『キチンとした介護』と聞けば、皆さんはどう思うでしょうか。

 

「一生懸命さが伝わる」、「学び甲斐のある介護だ」等、様々な感想を抱くでしょう。

 

実は、上記でご紹介した感想には、少々『危険な考え方』が潜んでいます。

 

その『危険な考え方』に気がつかないと、例えば介護疲れや、介護による無理心中など、非常に胸を痛めてしまうような結果を招く恐れがあります。

 

そして、これらのことは、自分が介護をする立場の人間になれば、『誰しもが』陥ってしまう可能性があるものなのです。

このような事態を防ぐためにはどうしたら良いか。それをみんなで考えていきましょう。

 

 

介護は思い入れが強いほど、『主観的な考え』になりがちになる。


 

ラクな介護を行うことと、キチンとした介護を行うこと。

 

冒頭でご紹介したお話ですが、さて、皆さんはどちらが正しいと考えますか。どちらが、より良い介護を実践していると評価できるでしょうか。

 

このような質問をされた時、多くの方は答えを見出そうとするでしょうが、どちらが正しいのかどうかは、実はこの場合重要なことではありません。

 

その前に、一度立ち止まって考えて欲しいことがあります。

 

それは、上記の感想の全てが『介護者』寄りの主観のみであって、『利用者』の気持ちには全く触れていないという側面がある、ということです。

 

『これは学び甲斐のある介護だ』と自信を持って主張をしている介護者がいたとしても、それが目の前にいる利用者に対してあまり必要としない介護技術なのであれば、利用者はその介護者に対して『不安』を抱くかもしれません。

 

せっかくのスキルが身についているのに、不安を与えてしまうのです。逆に、介護者側が『相手に対して失礼だ』と思いそうな介護を展開していたとしても、利用者側が「この人はユーモアがあって面白い」と別の視点に着目している場合、その利用者に対しては失礼どころか大いに歓迎されるべき介護なのかもしれません。

 

実際の現場では、このように介護者と利用者との間で、微妙な意識の差というものが常に存在しています。そして、それに気がつくというのは、実は非常に難しいことでもあり、介護にはこのようなジレンマも存在することを、私たちはあらかじめ理解しておく必要があります。

 

介護というものは、最初は利用者のために一生懸命頑張り、『利用者を笑顔にさせてあげたい』という理念で取り組んでいたものが、長く継続していくと『自分はこれだけ頑張っている』という主観的な考えにだんだんなってきます。

 

要は、利用者のためにやっていることが、自分が満足するためにやっていることになってしまいやすい性質があり、厄介なことに介護者当人は、その自覚を持っていないことが多いのです。

 

より良い介護を実践していると評価するのは、介護者ではなく、利用者でなければならないはずです。ケアプランの長期目標が『歩けるようになりたい』、『少しでも上手く字が書けるようになりたい』などというように『~したい』という表現をするのは、そういった『利用者の主観』を大切にすべきものが介護である、という意味も込められています。

 

 

介護に対する、あなたの視点はどっち?

 

例えば、テレビ番組の在宅介護の特集などを見るなどして『介護』について何かを考える場合、人は往々として『介護している側』の考えに同情しがちになります。

 

それは、介護現場ではアセスメントなどを取る際もそうですが、情報収集をする際に利用者よりもその家族やキーパーソンと密になりやすく、そのためどうしても『介護している側』の様子などがクローズアップされやすい背景があるためです。

 

寝たきりの夫を昼夜関係なく10年以上介護をする高齢の妻をテレビで見て、「大変だ」、「辛いだろうな」、「誰かに相談しないと…」などと思うでしょう。

 

この時、メディアの情報に流されずに「この夫は奥さんにこんなにも長く介護をしてもらって幸せな人だ」、「夫が笑っているとき、奥さんは幸せそうな表情をしていた」などと捉えられた人は、どれだけいるのでしょうか。

 

半身麻痺の利用者に服を着せようとした時、「自分でやれるから!!」と突っぱねられた時、介護者はどういう感情を抱くでしょう。

 

恐らく、「何だよ、感じ悪いな」と思う方が大多数ではないでしょうか。なぜ、この人は怒ったのか。

目の前で起こった出来事から一線を引き、そのことに関して冷静に追究するというのは、意識的に訓練をしていないとなかなか難しいものです。

学校や職場などで介護技術を一生懸命習得する。介護保険法やケアマネジメントを勉強する。利用者の尊厳を尊重しなければならないという、介護の精神論を理解する。このようなことを時間をかけて勉強していっても、行き着く先にはどうしても『介護者寄り』の考えを持った自分が待ち構えているわけです。

 

 

『介護』とは、一人で行うものではないということを知る

 

 では、そういった危険な考え方にならないようにするためには、どうしたら良いのでしょうか。

 

結論から述べると、自分の介護を『第三者に常に評価してもらい、その結果を素直に受け入れる姿勢を継続させる』ことにより、その危険性を回避させることができます。つまり、『主観』ではなく、介護は『客観』によって作り上げていくものなのです。

 

介護の世界を『利用者寄り』の考えにしていくためには、そこには必ず客観が存在しなければなりません。

 

「仕事で手を抜いているからどうかと思う」と言っている人に対して、「たまには手を抜かなきゃ介護は続かないよ」と言ってくれる人の存在が常になければいけません。

 

医師や看護師、ケアマネージャーだけでなく、そのように助言をしてくれる近所の方や友人、家族も立派な『チームケアの一員』なのです。

 

介護とは、一人で行うものではなく、複数の者たちが関わって行うものであり、それを知ることが大切です。

 

単独で介護を追究していくと、行き着く先が『介護者寄りの世界』であることが分かっているからこそ、チームケアというシステムがあります。

 

野球で、ピッチャーが一人でアウトを取り続けようとすると、怪我をしたり、気持ちに不安がよぎります。

 

しかし、内野や外野に助けられたり、キャッチャーから「少し肩の力を抜いた方がいい」などという助言をもらったりすることで、試合を継続し続けることができます。強いチームほど、相手の意見を貴重に扱おうとする特徴があります。それは、介護にも同じことが言えるような気もします。

 

介護に関しては、様々な問題が山積しています。

 

現在の日本は超高齢社会でありながら、国は施設介護ではなく、在宅介護の強化へと舵を切っています。

 

『その人が住み慣れた場所で生活するのが、利用者にとって一番の生き方である』─動機は確かに否定しようがありませんが、在宅サービスを強化することによって、こうした『主観的な介護』が展開されやすい可能性があることについても考えなければなりません。

 

「早くご飯食べてよ」、「夜なんだから、いい加減に寝てくれ」、「おむつ交換はさっきしたばかりでしょ!」─在宅を強化するということは、このようなジレンマを家族に毎日経験させるということです。

 

施設介護では、職員が交代しながら対応できますが、在宅となると同じ者が毎日24時間対応することになります。ショートスティを利用するにしても、お金が発生します。

 

介護をしようと最初に決心した時のあなたの心構えは、誰よりも間違いなく素晴らしいものであったはずです。

 

そのあなたの気持ちを尊重し、死守するために様々なスタッフがいます。あなたの今の生活を守るために、現在も何十万人という方々が専門の資格をとり、あなたの意見を聞きたいと心待ちにしています。

 

少しずつ、一緒に考えていきましょう。

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