① 集団処遇、まだ続けますか? ~個別ケア導入への指針

【講演】高口光子・・・特別養護老人ホームマナーハウス麻溝台にて看介護部長

 

赤ちゃんのオムツを換える。街中でお年寄りの荷物を持ってあげる。

➡これら全てを〝福祉〟と呼ぶ。〝福祉〟とは誰にでもできる事である。

しかし我々はプロであり、お金を頂いている事を忘れてはいけない。

 

利用者はどこから来るのか?

➡在宅・地域から

 

病気 

➡ 医療(発展して命が伸びる。しかし後遺症が残る) = 困る 

 

赤ちゃんは要介護度5で生まれてくる。

育児に対する母親の気持ち「いつまで・・・何のために続くのだろうか・・・」

育児 = 目安が立つ

 

(家族主観)介護負担=「いつまで・・・何のために続くのか・・・」「死ぬまで!?」

介護の〝毒〟は孤独 ➡ 今まで通りを守りたい

目安が立たない

 

介護保険の利用➡ケアマネが訪問し初回面接

その日家族会議が始まる ➡ しかし司会がいない = まとまらない

「だってしょうがないでしょっ!!」で決心する。

子が親を捨てる・・・

そして・・・私たちの前に現れる

自分の為ではなく、大切な「息子・娘のため」

仮に本人のため、と言うのなら ➡ 「死んだ方がマシ」と答えるだろう。

お年寄は入居判定では記号で表される。

(介護度〇、オムツ、機械浴、認知症etc)

 

食べ方は生き方 食事の仕方は [経口・鼻腔・胃瘻]

意思を示せないお年寄りの場合、家族は親を捨ててなお命の長さを決める。

(このまま誤嚥のリスクを背負いながら経口からを維持するのか、管を通すのか・・・)

だから「鼻腔はダメ、胃瘻はダメ」と施設は言ってはいけない。

家族の意思を任せられるのが施設ケアである。

 

〝人〟にとっての日常とは食事・排泄・入浴である。

この三つを丁寧にケアしてこそ施設ケアとして価値がある。

日常の中で「生きていて良いのだ」とワーカーはお年寄りに伝えていく。

 

「美味い!」「すっきりした!」と感じる事で「今を生きている」

➡その人らしい生活を作り上げていく。

 

家族がじいちゃん、ばあちゃんを施設に入れた ➡ 捨てたなのか介護を選んだ  

心境はどちらだったか。

「じいちゃん、ばあちゃんを捨てた所に曾孫は連れていけない」負い目がある。

 

最期の時に病院を選ぶ家族・・・親を捨てたと感じていて、受け止めきれない

施設を選ぶ家族・・・介護を選んだと受け入れている

 

我々は ➡ 介護を選んだ家族に対して、「やっぱりここに入れて良かった」「施設に任せて良かった」と期待に副う義務がある。

➡ 親を捨てたと思っている家族には、「この施設に任せて良かった」と罪の意識からも解放されるぐらい、質の高いケアを実践する。

 

その為には・・・ ただ一人の人と関係性を育む。

➡食事・排泄・入浴といった方法論で対人援助を行い、最初はあかの他人である人との関係を深める。

 

食事・排泄・入浴 すべてに共通するのは坐位姿勢足底が地面に着いて前屈みの姿勢。

※個別ケアのスタートは姿勢の保持が基本である。

食事『ヤバい食堂』の条件(監査的なヤツで見られている項目)

・だだっ広い

・水平線のような机

・大きい画面・大音量のテレビ

・机に伏せっきりの年寄

・一度の誘導に数人の年寄

・年寄の頭の上で私語

・食前から介護エプロン着用

・高さが同じ机(年寄りには高すぎて生首に見える)

・咀嚼・嚥下に時間がかかるのに、パッパと介助する

・数人まとめて食事介助(鳥のエサやり)

 

上記の項目で該当する数が多いほど〝ヤバい〟です(笑)

 

( ^ω^)・・・

 

上記以外で「これやってたら一発アウト~!はい、素人以下ね」と言われてしまったのが・・・立って食事介助

➡理由としては立って介助すると利用者の顎が上を向き、それにより食物が気道の方へ入ってしまい誤嚥性肺炎になってしまうリスクが高いから。

 つまり立って介助している人は「この人誤嚥性肺炎になるかな~」ってギャンブルしてるのと一緒。

この項目でチェックした後、職員に実際にインタビューをする。

その答えが・・・

「前からやっている」「仕方がない」「終わらないから」と答える職員がいたら、そっちの方が終わってる。

意識の低い〝腐ったリンゴ職員〟である。

もし職員が・・・

「こんなのダメですよね・・・」

「でもどうやって変えたらいいかわからない」

としっかり現実を受け止めて改善を望んでいるが、手段が分からないというのは、手順を授ければ改善できる希望がある。

★排泄まず姿勢の違いによる重力のかかり方として、坐位姿勢時と比べ臥位姿勢時は3倍の腹筋力が必要となる。

「ウンコもシッコも出やしない」

 

※尿・便意は脊髄損傷以外では無くならない。

 

「トイレさっき行ったじゃん」

この言葉はそのお年寄りが生きる事を否定する言葉

まぁ簡単に言うと死ねって言っているのと同じって事ですね(汗)

 

新人職員は誰よりも敏感 ➡ 年寄りが「トイレ」と言えば「あ、トイレなんだ」、「ご飯食べてない」と言えば「あ、お腹すいてるんだ」と純粋に年寄りの言葉をキャッチする。

でも・・・何を勘違いしてか、年数だけ無駄に経った職員は「あ~その人ね~今トイレ行ったから次〇時ね~」「大き目のパット入ってるし(オムツつけてるし)一回ぐらい飛ばしても大丈夫だよ」「今ご飯食べたじゃん。もう忘れたの?」てすぐ言っちゃう。さっきも出ていた腐ったリンゴなクソ職員の方です。

 

現場にプロ意識を要求するなら、管理者は責任を負わなければならない。

 

流れ作業では〝人〟としてのその人に出会えない。

(「あと特浴10人いるよー」の8人目ではなく、オムツ交換20人の中の一人ではなく、○○さんだという事を忘れてはいけない。数や記号で呼ばない。)

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