『認知症』─この病名を、皆さんはご存知でしょうか。これは、主に脳梗塞やアルツハイマー病などが原因で発症するものであり、症状としては『数分前の出来事を忘れる』、『昨日、自分がどこで何をしていたのかの記憶がない』などがあります。最近では、ドラえもんの声優でおなじみの大山のぶ代さんが認知症にかかったことで話題となりました。

 

 

ニュースの特番などでもよく取り上げられるこの認知症ですが、現代社会では『闘病生活』や『介護疲れ』といった表現から分かるように、どちらかというと『健常者側』の視点でクローズアップされることが多いような気がします。つまり、認知症に対する一般的な世間の関心というのは、『認知症になったら、どうなるのだろう』ということ。こういう症状が現れる。こういう段階を踏んで、重度になっていく。認知症に対して普通の人が連想するのは、そういった発想です。

 

 

ここで、少し視点を変えてみましょう。私たちは、認知症の世界というのを『健常者側』の視点から見てきました。では、『認知症側』の人から見た認知症の世界というのは、どういったものなのでしょうか。今回は、そんな『認知症の世界』について考えていきます。

 

 

以下に、3つのケースを物語形式でご用意いたしました。いずれのケースも、『あなたが認知症になっている』という設定で読んでみてください。

 

 

ケース1 免許を更新するために公安に行こうとしたら、警察に職務質問された。

 

 

あなたはある日、ふとこんなことを思い出しました。

 

 

 

『運転免許証の更新をしに行かなければならない』

 

 

 

それまで、すっかり忘れていたあなた。やばい、早く更新をしないと運転することができなくなる。慌てたあなたは、運転免許証を持って公安へ向かうために家を出ました。

 

 

車で行こうと思うも、家に車が無かったため、あなたは歩いて公安へ向かうことにします。

 

 

「どっちの方向だったっけ?あぁ、多分こっちだ。あ、バスが走っている。そうだ、これに乗って行こう」

 

 

 

そんなことを考えながらバス停を探して歩いていると、向こうからパトカーがやって来ました。通り過ぎるかと思いきや、パトカーは自分の前で停車し、中から2人の警察官が出てきました。あなたは、びっくりします。

 

 

「ちょっといいですか?」

 

 

 

警察官が、あなたにこう尋ねてきました。

 

 

「こんな真夜中にパジャマ姿で、どこへ行かれるのですか?」

 

 

何処だっていいだろう。あなたには『目的』があるので、こう答えます。

 

「これから運転免許証の更新へ行くんです」

 

「え、更新?免許証??」

 

「はい、これです」

 

「え…これ、スリッパだよね?」

 

「早く行かないと終わってしまうので。バスは何処ですか?」

 

「バスって、今夜中の1時ですよ?バスはもう走ってないですよ?」

 

「え、バスはもう乗れないのですか?あら、どうしよう…」

 

「更新は明日でも大丈夫ですよ。とりあえず、今日は帰りましょう」

 

「そうですか…それじゃあ、帰ります。」

 

 

警察官に諭され、あなたは家族が待つ自宅へ送られていきました。

 

 

このケースでは、『自宅を真夜中に抜け出して深夜徘徊をする』様子を取り上げています。認知症には昼夜逆転といって『時間を認識できなくなる』ために、何かふと頭の中に目的が浮上すると、このように真夜中だろうが外に出ていったりすることもあります。

 

 

ここで注目する点は、警察官の「大丈夫ですよ」という言葉。もしここで「は?今の時間バス走っているわけないでしょ!?しっかりしなさい!」などと言われたら、あなたはどういう気分になるでしょう。あなたは、『スリッパ』と言われましたが、手にはしっかりと免許証を持っています。そして、公安へ行くという目的のもと、バス停を探し歩いています。そんな時、いきなり現れた警察官にいきなり怒られたわけです。普通でしたら、『面白くない』でしょう。そして、余計に気持ちが不安定になります。

 

 

 

認知症の方々が抱く目的は、しばしば現実社会のそれとそぐわないことが多い場合があります。しかし、認知症の方々は『自分の行動が社会的に乖離しているという自覚』がない為、周りの人の反応に対し、不安になることが多いです。そのため、「大丈夫ですよ」「明日でもできますよ」などといったように、常に気持ちを安心させてあげる必要があるわけです。

 

 

ケース2 話しかければ、常に周りが不快そうな反応をする。


 

 

あなたの目の前には、一人の介護者がいます。

 

 

あなたは、その人の名前が知りたくなりました。

 

 

いつも自宅に来ていろいろやってくれる人なのに、名前を知らないことに気がついたからです。

 

 

なので、こう聞いてみました。

 

 

「あなたのお名前は何というのですか?」

 

 

 

すると、それを聞いた相手はどこか苦笑いをしているようにも見えました。何だ、聞いたらいけない質問だったのか。

 

 

相手は、こう答えました。

 

 

「鈴木(仮名)です。前にも話したでしょ?」

 

 

何を言っているのだ。名前に関しては、初めて聞いたのだが。

 

 

その後、いろいろ質問してみましたが、やたら苦笑いをされるため、それ以上質問しないようにしました。

 

このケースは、『介護職員へ同じ質問を5~6回以上している状況』を例に出しています。

 

 

介護職員からすれば、何度も自分の名前を伝えても相手は同じ質問でまた聞いてくるため、思わず「またかよ…」と苦笑いを浮かべてしまっている様子です。

 

 

しかし、認知症の方々からすれば、『質問をしたという事実を忘れてしまっている』ため、至って普通の会話をしているという自覚のもと質問をしているわけです。そこに、『自分が話しかけると、常に苦笑いされたり、時には怒られたりする』という状況がやってくるため、戸惑いを隠せないでいます。

 

 

相手がなぜそういった反応をしているのかが分からず、不安になるのです。

 

 

 

ケース3 知らない相手なのに、やたらと自分のことに詳しい

 

あなたの目の前には、一人の若い女性がいます。

 

 

その女性はほぼ毎日あなたの自宅を訪れ、料理や洗濯、ペットの世話までもしてくれます。なぜ、そこまでしてくれるのかはよく分かりませんが、その女性のおかげで非常に助かっており、常に感謝の気持ちがありました。

 

 

でも、どこかで会ったことがあるような気がする。親戚の人だろうか。私の姪なのだろうか。姪なんていたかな…。

 

 

 

ある日、家でその女性と食事を摂っていた際、その女性は次のようなことを言ってきました。

 

 

「昔はよく毛糸とかでセーターとか編んでたよね。またやってみたらどう?」

 

 

そこで、あなたは少し不思議な気持ちになります。

 

 

 

なぜ、この人は私が編み物が好きであることを知っているのか、と。

 

 

 

更に、こんなことも言ってきました。

 

 

「その押入れの中に裁縫道具しまっていたよね。古いけど、まだ使えるんじゃない?」

 

 

そういって、その女性は押入れを開けると、何と自分が使っていた裁縫道具が出てきました。なぜ、この人はわたしの裁縫道具が何処にあるのかも知っているのだ。以前、話したことがあっただろうか。

 

 

不思議な気持ちはどんどん大きくなりますが、何故か嫌だという感情は沸いてきませんでした。毎日顔を見ている人だから、安心しているからなのだろうか。その女性から笑顔で裁縫道具を渡されたため、

 

 

「あらそう。ちょっとやってみようかしら。」

 

 

と言い、あなたは何かを編み始めることにしました。

 

 

このケースでは、『目の前にいる女性が自分の娘であることを忘れている』という状況を取り上げています。娘からしたら、あなたは自分の親なのですから、あなたが何が得意で何が好きなのか知っているのは至極当然のことです。しかし、あなたは認知症により娘の顔を忘却してしまっているが為に、『知らない人のハズなのに、自分のことにやたらと詳しい』という状況に陥っているわけです。健常者の側から見ると非常に辛い現実ですが、認知症の側からすればそれだけでなく、様々な場面において健常者よりも『不安になる機会が多い』状況がずっと続いているのです。

 

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

認知症に関しては、様々な書籍が出版されています。また、ネットを活用しても、その実態について詳しく調べることができます。豊富な情報があふれている現代社会ではありますが、わたしたちがすべきことは、その情報を調べて知識に変換して終えるのではなく、その調べた情報をもとに『考える』ことが重要です。『徘徊』という言葉がありますが、これは健常者側が認知症を発症している方々に対して用いている言葉です。認知症のBPSDの一つとして数えられていますが、ケース1でもお話したように、彼ら彼女らの行動には自分なりのきちんとした『目的』があり、それに沿って常に行動しています。例えば、あなたはとあるショッピングモールへ行き、ジャケットを買いたいとします。しかし、いろんなショップを巡り歩いても、お気に入りのジャケットが見つかりません。「次の店に行ってみよう。あ、あの店には良いのがありそうだ。」そう思いながら歩き回っている時、全く面識のない集団があなたの様子を怪訝そうに見て、「いやだ、徘徊している人がいる」と指をさしてきたら、あなたはどういう気持ちになりますか。

 

 

認知症とは、そういう世界です。そういう状況が、亡くなるまで続きます。わたしたちは、この状況を踏まえた上で、認知症に対して理解していく必要があることを忘れてはなりません。

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