片麻痺とは、主に脳梗塞などを発症したことにより、左右どちらかの身体的機能を低下させてしまう後遺症のことをいいます。
脳梗塞発症後、一命は取りとめたものの、脳の一部が血栓や出血などによって長時間圧迫を受け、脳細胞がダメージを受けることにより片麻痺となるケースがあります。一般的には、右脳側に脳梗塞が発症すると左片麻痺、左脳側だと右片麻痺になるといわれています。
医療・介護用語として、例えば対象の利用者が右片麻痺であった場合、右側の麻痺がある方を『患側』、そうでない左側を『健側』といいます。『健側』はご存知の通り、通常の身体的機能が維持されている側を指します。
モノを持つ、握る、道具を使う等、複雑な作業を行うことができます。
ところが、『患側』の方は、麻痺があるためそれがやりづらくなります。残存機能を維持させるためにはリハビリや本人の意思が非常に重要となりますが、症状が進行して廃用症候群になってしまうと、麻痺側の身体的機能はほぼ全廃となります。
今回、みなさんと一緒に考えていきたいテーマは、この『片麻痺の感覚』についてです。『健側』の感覚というのは長年の経験から私たちは熟知していますが、この『患側』の感覚というものは、教科書で勉強して知っているといった程度で、実際どんな感覚なのかまでは実はよく分からない分野でもあると思います。片麻痺の感覚とは一体どういったものなのか。
今回は、それにスポットを当てていきます。
片麻痺の方は、『健側のケア』ができない
夏の暑い夜、自分の部屋で寝ていると、何やら音が聞こえてきました。耳を澄ましてよく聞いてみると、どうやらそれは蚊であるようです。
「あぁ、蚊だ。嫌だなぁ、刺されたら痒くなるし」
そんな事を考えていたとき、一匹の蚊があなたの右腕に止まる感覚を感じました。刺される!そう思ったあなたは、すかさずパシッと腕を叩いて蚊を退治しました。
これは、どこのご家庭にでもある日常風景です。
私たちはこのようにして蚊に刺されるリスクを回避することができますが、もしこの時『左片麻痺』であったらどうでしょうか。右側は健側なので、蚊が止まったという感覚はあります。
刺されるかもしれない!という嫌悪感もあります。
しかし、左腕に麻痺があるため、健常者と同じようにパシッとやることができません。刺されて痒くなったとしても、箇所によっては上手くかけないため、我慢せざるを得なくなります。
何か作業をしている途中で、健側の手をどこかに強くぶつけた時、私たちはどのような行動をするでしょうか。
恐らく、痛みが生じた箇所をさすったり、押さえたりなど何かしらの行動を取ることでしょう。しかし、これが片麻痺であった場合、それができません。
ただ痛みが消え去るのを我慢して、じっと待つしかないわけです。
このように片麻痺があると、『健側の痒みや痛みのケアを満足に行うことができない』というハンディキャップが生じます。
そして、そのような状況が日常的に繰り返されるわけです。痛い、痒い、冷たい、熱い。
このような感覚は日常生活では不測に生ずるものであり、片麻痺がある場合は、こういった些細な感覚に対して満足に対応することができず、大きなジレンマを強いられることになります。
入浴後の利用者に服を着せる介助をした時の事例をご紹介します。
その利用者は女性の方で、左片麻痺で廃用症候群の病名も付いており、左腕は全く使うことができない状態でした。いつものように更衣介助をしていた時、その利用者は介護職員へこう言ってきました。
「私の右腕に髪の毛が付いている。取ってくれないかしら」
バスタオルで身体の水気を拭き取ったのですが、濡れた一本の髪の毛が付着していたという、それはどこにでもある月並みな日常でした。その介護職員は言われた通り髪の毛を指で取り除いたのですが、次に放ったその利用者の言葉に、少し考えさせられるものがあったわけです。利用者は、こう続けました。
「ありがとう。私は左腕が全く使えなくてね。髪の毛が付いたままだと敏感肌だから、痒くなってしまうのよ。だけど、髪の毛を取ってちょうだいって後からコールでわざわざ介護さんを呼ぶのも何だか気が引けてね。いま気がついて良かった。」
この返しを聞いて、皆さんは何を考えたでしょうか。
片麻痺の方を介助する際、私たちはどうしても『患側』のみに意識が集中しがちになりますが、実は『健側』のケアはそれ以上に注意してあげなければならないということを、この利用者の方は教えてくれたようにも感じます。
片麻痺の感覚とは、常に重いリュックを片方に背負っている状態
人は地上で生活をする際、常に地球からの重力の影響を受けています。
その為、地上で生活できるようになるためには、その重力に打ち勝つ力を自ら発生させ、且つそれを継続させていく必要があります。私たちは、その重要な作業は『筋肉』によって、ほぼ無意識下で行っています。
休め!と号令をかけられ、ただその場にラクな姿勢で立つだけでも、私たちは非常に多くの筋肉を駆使して、それを実現させています。逆に言うと、様々な筋肉を使うことによって、私たちは体幹バランスを細かく整え、『通常の休めの姿勢』で立位を維持させることができるのです。
冒頭で少し話が出ましたが、片麻痺がある場合、モノを持つ、握る、道具を使うといった複雑な作業が困難になります。
これらの作業を可能にさせるために必要なもの─そう、それが『筋肉の収縮活動』であるわけです。
つまり、麻痺とは『筋肉の収縮活動の著しい鈍化』であり、これがどちらか片方に発生することを片麻痺といいます。
これを踏まえ、改めて片麻痺になった状態を想像してみましょう。
まず、麻痺になると筋肉を思うように使えなくなるため、それがどちらか片方に出現すると体幹バランスを維持させることが難しくなります。
そのため、片麻痺になると『まっすぐ立つ』ことが非常に難しくなってきます。身体は常に重力の影響を受けているため、まっすぐ立とうとすると患側がモロに重力に引っ張られてしまうため、倒れてしまいます。
そのため、片麻痺がある場合、立位を維持させるためには『健側へ重心をずらす』必要があり、よって健側の方に半ば傾いた状態で立つことになります。
例えて言うならば、非常に重い荷物が入っているリュックをどちらか片方の肩に背負っている、といった感覚に似ていると思います。
その状態で、リュックを背負っている側の足を地面から離すと、何もしなければ転んでしまいますよね。
それを回避させるためには、リュックを背負っていない側へ重心をずらす必要があるのですが、片麻痺がある方々の立位とは、ちょうどこの感覚に相当します。
例えば、左片麻痺がある方につかまり立ちをしてもらうよう伝えると、若干右側へ傾いたように立ちます。
健側に十分な筋力が残存している状態であればこのように立つことができますが、高齢などで健側の筋力が低下している場合などでは体幹を維持させることができなくなる為、患側へ転倒してしまうリスクがつきまといます。
その為、立位や歩行など何かしらの介助を行う際、介護者は基本的に利用者の患側に付き添って、転倒のリスクに備える必要があります。
自分が片方の肩に重いリュックを背負って片足立ちになったとして、その時バランスを崩して転んでしまうとしたら、どのような転び方をすると思いますか。
それが、片麻痺がある方の転び方です。
成人の片腕の重さは、体重のおよそ5~7%程度であると言われているそうです。
例えば、体重50kgの方の場合ですと、その人の片腕の重さは単純計算して2.5~3.5kg程度であることがわかります。
3kgのダンベルとなるとなかなかの重量ではありますが、通常私たちは筋肉の働きにより、この3kgもある片腕を『重い』と感じることはありません。
ところが、片麻痺になると、この3kgの重さをモロに感じることになります。
臥床している状態を考えてみましょう。
余裕のある方は、まずスポーツ店等で手足に装着できる、一個1kg程度のアンクルウェイトを購入してみてください。
買ってきたら、布団やベッド上へ横になり、そのアンクルウェイトを二個、お腹に載せてみてください。
ズッシリと重い感覚を体感できると思うのですが、その状態が片麻痺のある方々の臥床状態であると考えられます。
麻痺というのは、複雑な作業ができなくなるだけでなく、こういった部位の重さも感じるようになる、という点も押さえておく必要があります。お腹の中に柔らかいクッションを置いて、再びアンクルウェイトを置いてみてください。
クッションの弾力により、先ほどと比べ重さはそう感じなくなると思います。
片麻痺でも寝返りが打てるような方であれば軽減はできますが、筋力低下で寝返りが打てなかったり、全介助を要する方である場合などでは、そのような状態で寝ることになってしまうため、患側にはクッションを挟んであげるなどの対応も検討しておく必要もあります。
片麻痺の感覚というのは、実際に当事者にならないと見えてこない部分がたくさんあります。
しかし、上でご紹介したように、身の回りにあるものを用いて疑似体験し、片麻痺の感覚に自分を近づかせることができます。
片麻痺の方の歩行介助をする際は、患側に立たなければならない─教科書でこのような一文を見たとき、それを『知識』として覚えるのか、『疑似体験』した上で会得するのかによって、介護の質は明らかに変わるはずです。
介護では常に対人が存在しますが、その対象者は『自分と身体状況が違う相手』であることが多いので、座学以外にもこのような疑似体験も進んで導入していくことにより、本当の意味で『相手を尊重する』ことができるようになれるのではと感じています。